私たちの日常は、数多くの「当たり前」や「常識」と呼ばれる知識で満たされています。その中には、先人たちの経験や知恵の結晶として受け継がれてきたものもあれば、科学的な根拠に基づいて広く認知されているものもあります。しかし、時として、それらの「常識」が、実は思い込みや不確かな情報に基づいているとしたらどうでしょうか?
先日、「卵」に関する、まさに目から鱗が落ちるような研究結果が発表されました。それは、「卵は縦向きに置いた方が衝撃に強く、割れにくい」という長年信じられてきた定説を覆す、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームによる報告です[1]。彼らの研究によれば、なんと「卵は横向きで地面に衝突した方が、縦向きで衝突するよりも割れにくい」というのです。このニュースは、改めて「常識を疑う」ことの重要性を教えてくれました。
このMITの研究を糸口に、私たちが無意識に信じている定説をデータで検証することの価値、そして身の回りの現象に潜む「なぜ?」を探求する面白さについて考えていきたいと思います。
まず、なぜ私たちは「卵は縦向きの方が割れにくい」と長年信じてきたのでしょうか。
一つは、卵の形状そのものにあります。卵の尖った両端は、力学的に見てアーチ構造やドーム構造に似た形状をしています。これらの構造は、外からの力を効率的に分散させ、特定の箇所に圧力が集中するのを防ぐ効果があります。実際に、卵を手のひらで包み込むようにして縦方向に力を加えても、なかなか割れないという経験をしたことがある人も多いでしょう。この経験則が、「卵は縦方向の力に強い」という「思い込み」を生んだのだと思われます。
また、卵をパックに詰める際や、ゆで卵をエッグスタンドに立てる際など、私たちは無意識のうちに卵を縦向きに扱います。こうした日常的な習慣も、卵の縦方向の安定性や強度に対する信頼感を育んできたのかもしれません。スーパーの卵売り場を見ても、多くの卵パックは卵が縦に収まるように設計されています。
構造的な特性、日常的な経験、そして自然界の観察などが複合的に作用し、「卵は縦向きが強い」という定説が広く受け入れられてきました。それは、ある意味で合理的であり、直感的に理解しやすい「常識」だったのです。
しかし、MITのユエ・グオ氏らが発表した研究は、この長年の「常識」に真っ向から異議を唱えました。彼らは、卵が落下して地面に衝突する際の割れやすさを、向きを変えて詳細に比較検証したのです。その研究手法は、極めて科学的かつ精密なものでした。
研究チームは、3Dプリンターを用いて、様々なアスペクト比(縦横比)を持つ卵型のカプセルを作成しました。これにより、形状の違いが割れやすさにどう影響するかを系統的に調査することが可能になります。そして、これらのモデルカプセルと、実際の鶏卵を使って、0.2メートルから1.2メートルという様々な高さから落下させる実験を繰り返しました。
衝突の瞬間は、超高速度カメラで詳細に記録されました。これにより、卵が地面に接触し、変形し、そして破壊に至るまでの微細なプロセスを捉えることができます。さらに、研究チームは最新のコンピュータシミュレーションによって、実験だけでは見えない卵内部の力の分布や、破壊が始まるメカニズムを明らかにしようとしたのです。
実験とシミュレーションの結果、驚くべき事実が判明しました。多くの人が「強い」と信じていた縦向きよりも、横向きの方が、より高い衝撃に耐え、割れにくいことが示されたのです。
具体的には、鶏卵の場合、横向きで落下した方が、縦向きで落下した場合に比べて約1.5倍も高い位置からの落下に耐えられたといいます。これは、まさに従来の常識を覆す結果です。
この発見は、単に「卵の雑学」が増えたという話にとどまりません。例えば、食品産業における卵の輸送や包装方法の改善に繋がる可能性があります。卵をより安全に、効率的に運ぶための新しいパッケージデザインが生まれるかもしれません。さらに、この研究で用いられた手法や得られた知見は、惑星の衝突や隕石の落下といった現象の理解にも役立つ可能性があると研究者らは述べています。
MITの卵の研究は、私たちに非常に重要な教訓を与えてくれます。それは、長年信じられてきた「常識」や「定説」であっても、常に絶対的に正しいとは限らないということです。そして、それらを鵜呑みにするのではなく、批判的な視点を持ち、客観的なデータに基づいて検証することの重要性です。
科学の歴史を振り返れば、このような「常識の転換」は数多く存在します。かつて、地球は宇宙の中心であり、太陽や星々が地球の周りを回っているという「天動説」が絶対的な真理とされていました。しかし、コペルニクスやガリレオ・ガリレイといった科学者たちが、天体観測という客観的なデータに基づき、緻密な計算と論証を重ね、地球が太陽の周りを公転しているという「地動説」が受け入れられるようになりました。
また、病気の原因が「悪い空気」や「体液の不均衡」にあると考えられていた時代もありました。しかし、ルイ・パスツールやロベルト・コッホらが、顕微鏡による観察と実験を通じて、多くの病気が細菌やウイルスといった微生物によって引き起こされることを突き止め、「病原菌説」を確立しました。これにより、衛生観念が向上し、感染症の予防や治療法が飛躍的に進歩したのです。
これらの歴史的な例は、権威や伝統、あるいは直感的な分かりやすさだけに頼ることの危険性と、観察・実験・データ分析といった科学的なアプローチの力を示しています。
「卵は縦向きが強い」という定説も、ある意味では直感的に理解しやすく、経験則にも合致するように思えましたが、MITの研究者たちはそこに疑問を持ち、より厳密な条件下でデータを集め、解析することで、新たな真実を発見しました。
この「疑う勇気」と「検証する力」は、科学の世界だけでなく、私たちの日常生活やビジネスの場面においても非常に重要です。私たちは日々、多くの情報にさらされ、様々な意思決定を迫られます。その際に、安易に「みんながそう言っているから」「昔からこうだったから」という理由で判断を下すのではなく、「本当にそうなのだろうか?」「その根拠は何か?」「別の可能性はないだろうか?」と自問自答し、可能な限り客観的な情報やデータを集めて判断する姿勢が求められます。これこそが、いわゆるクリティカルシンキングの第一歩です。
今回の卵の研究は、もう一つ大切なことを教えてくれます。それは、科学的な発見の種は、必ずしも最先端の難解なテーマの中にだけあるのではなく、私たちの身近な日常の中にも無数に転がっているということです。
卵という、誰もが知っていて、毎日当たり前のように接しているものの中に、まだ解明されていない謎や、覆されるべき「常識」が潜んでいたのです。これは、私たち一人ひとりが、子供のような純粋な好奇心を持って身の回りを見渡せば、新たな発見や驚きに出会える可能性を示唆しています。
必ずしも大掛かりな実験装置や高度な専門知識が必要なわけではありません。身近な材料を使って簡単な実験をしてみたり、じっくりと観察を続けてみたり、あるいは図書館やインターネットで関連情報を調べてみたりするだけでも、多くの発見があるはずです。卵の実験で言えば、実際に家庭で卵を様々な向きで、低い高さから落としてみて、割れ方の違いを観察するだけでも、何かしらの気づきがあるかもしれません(もちろん、安全と後片付けには十分注意してくださいね)。
大切なのは、「なぜだろう?」と感じる心を常に持ち続けること、そして、その疑問を放置せずに、自分なりに調べてみたり、試してみたりする行動力です。このような探求心は、私たちの知的好奇心を満たし、世界をより深く理解する喜びを与えてくれるでしょう。
マサチューセッツ工科大学による「卵は横向きで落ちるとむしろ割れにくくなる」という研究結果は、単なる一つの科学的発見を超えて、私たちに多くの示唆を与えてくれます。それは、固定観念や既成の「常識」に囚われず、常に物事の本質を問い続ける姿勢の重要性です。そして、その問いに対する答えを、客観的なデータと論理的な思考によって導き出すことの大切さです。
私たちの周りには、まだまだ解明されていない「当たり前」や、見過ごされている「真実」が隠されているかもしれません。卵の落下実験が示したように、身近な現象に真摯に向き合い、丹念に検証することで、世界の見え方が変わるような発見が生まれる可能性があるのです。
常に問い続け、学び続けること。それが、変化の激しい現代において、私たちが持ち続けるべき最も大切な姿勢の一つなのかもしれません。
[1] Communications Physics 2025年5月8日「Challenging common notions on how eggs break and the role of strength versus toughness」
https://www.nature.com/articles/s42005-025-02087-0
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