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楽園は地獄だった〜 50年前にネズミが問いかけた、私たちの「未来」 〜

Discovery
2025年9月5日

もし、「生きる上でのあらゆる脅威が取り除かれた、完璧な楽園」と言われたら、あなたは何を想像するでしょうか。おそらく多くの人が、争いのない、穏やかで幸福な世界を思い描くはずです。それでは続けて「では、そこに住まわせてあげましょう」と言われたら、あなたはどうしますか?

今から50年以上も昔、1960年代後半のアメリカ。世界がベトナム戦争の混乱に陥り、若者たちが新しい文化や価値観を求めていた激動の時代に、一人の科学者が同じような壮大な疑問を抱きました。

「もし、限られた空間に一切の危険がない楽園を作り、そこで生き物が暮らしたら、その社会はどうなってしまうのだろう?」

この疑問を持ったのは、アメリカ国立精神衛生研究所の動物行動学者、ジョン・B・カルフーン博士です。彼はある講演でこう話し始めました。「私は主にネズミについて話しますが、本当に考えたいのは人間のこと、そして命がどう進化していくかということです」。彼の視線は、目の前のネズミを通して、常に私たち人類の未来を見つめていました。

そして1968年の夏、人類の歴史においても非常にユニークで、多くのことを考えさせられる実験が始まりました。後に「ユニバース25」と呼ばれることになる、マウスたちの楽園実験です。その結末は、私たちの明るい想像を根っこから覆す、あまりにも衝撃的なものでした。

楽園は地獄だった 〜 50年前にネズミが問いかけた、私たちの「未来」 〜

「ユニバース25」:完璧なるネズミの理想郷

カルフーン博士が用意した「楽園」は、まさに完璧な世界でした。彼は、生き物が暮らす上で出会うであろう根本的な問題を、科学の力で一つひとつ丁寧に取り除いていったのです。彼が定めた「楽園」の条件、つまり取り除かれた5つの脅威は以下の通りです。

  • 住む場所に困らない
    巣はいつでもたくさん用意され、快適な寝床が保証されていました。
  • 食べ物がなくならない
    食べ物と水は、いつでも好きなだけ手に入るように自動で供給されました。
  • 厳しい天候にさらされない
    施設の中は、常にマウスにとって一番過ごしやすい温度と湿度に保たれていました。
  • 病気にならない
    徹衛生管理が徹底され、伝染病が広がる心配はありませんでした。
  • 天敵がいない
    施設内にマウスを襲う動物はおらず、食べられるという恐怖から完全に解放されていました。

まさに、マウスにとっての理想郷です。この約2.5メートル四方の巨大な「楽園」に、選び抜かれた健康な4組8匹のマウスが移り住みました。

彼らの楽園での、そしてやがて地獄へと変わっていく物語は、こうして始まったのです。

楽園は地獄だった 〜 50年前にネズミが問いかけた、私たちの「未来」 〜 「ネズミの楽園」は永遠には続かなかった

楽園の誕生、発展、そして静かな絶滅へ

実験は、まるで一本の映画のように、4つの段階を経て進んでいきました。

第1段階:楽園の謳歌(実験開始〜315日目)

最初のうちは、すべてが順調でした。マウスたちは新しい環境を楽しみ、豊富な物資を使って巣を作り、仲間を増やしていきました。約55日ごとに数が倍になるという、理想的なペースで人口は増えていきました。この時期、マウスたちの社会はとても安定しており、子育ても問題なく行われ、まさに楽園そのものでした。

第2段階:過密と崩壊の始まり(315〜600日目)

しかし、数が620匹を超えたあたりから、穏やかだった楽園に少しずつ影が差し始めます。施設全体にはまだ十分なスペースがあったのに、なぜかマウスたちは特定の場所に集まるようになったのです。これにより、一部のエリアだけが「満員電車」のような状態になりました。カルフーン博士は、この現象を「行動のシンク(沈み込み)」と名付けました。

この頃から、社会の仕組みがおかしくなり始めます。まず、ネズミ社会での立場をめぐる争いが激しくなり、負けた若いオスたちは自分の役割を見失い、コミュニティの輪から外れていきました。彼らは心を閉ざして引きこもるか、他のマウスに手当たり次第に攻撃を仕掛けるようになりました。メスたちも無関係ではいられませんでした。攻撃的なオスから逃れるため、メスたちは巣に閉じこもるようになり、次第に子育てへの情熱を失っていきました。

第3段階:地獄の到来(600日目以降)

最数が2,200匹でピークに達した頃、楽園は完全な地獄へと姿を変えました。社会のルールは完全に失われ、ただただ混乱が広がっていました。

多くのオスは子孫を残すことに全く興味をなくし、ただ食べて、寝て、自分の毛づくろいをするだけになりました。一部は非常に攻撃的になり、メスや子どもだけでなく、仲間同士で傷つけ合う「暴力」が日常になりました。

メスたちの行動はさらに悲劇的でした。多くが育児を完全にやめてしまい、生まれた子どもは巣から追い出され、他のマウスに襲われたり、寒さや飢えで死んでいきました。母親が自分の子どもを攻撃することさえありました。その結果、この時期に生まれた子どもの90%以上が死んでしまうという、異常な事態に陥りました。

この混乱の中、「美しい者たち」と呼ばれる不思議なグループが現れます。彼らは社会的な関わりを一切やめ、争いにも繁殖にも加わりません。ただひたすら自分の毛づくろいだけをして過ごし、その毛並みは傷一つなく美しかったといいます。しかし、彼らは社会の一員としては完全に「死んだ」存在であり、楽園の終わりを静かに告げていました。

第4段階:静かな絶滅

一度壊れてしまった社会は、二度と元に戻りませんでした。繁殖活動は完全に止まり、生き残ったマウスたちは、次の世代を残す能力も意欲も失っていました。彼らはただ静かに年をとり、一匹、また一匹と死んでいきました。そして実験開始から約5年後の1973年、ユニバース25の最後の1匹が死に、楽園は「全滅」という形で幕を閉じたのです。生きるための外的な脅威が何もない世界で、彼らは自分たちの社会が壊れたことによって滅んでしまいました。

楽園は地獄だった 〜 50年前にネズミが問いかけた、私たちの「未来」 〜

なぜこの「ネズミの物語」は、今も私たちを惹きつけるのか

この衝撃的な研究は、発表された当初こそ学会で大きな注目を集め、多くのメディアで報道されました。しかし、やがて専門家の間ではほとんど語られなくなっていきました。その理由は主に、「しょせんはネズミの実験で、人間にそのまま当てはめるのは危ない」「実験室という特殊な環境だから起きたことだ」「『美しい者たち』といった表現は、科学というより物語のようだ」といった批判があったからです。

科学の世界では忘れられつつある一方で、この物語は社会に大きなインパクトを与え、今も多くの人々の心を掴んで離しません。様々な本や物語、さらには漫画や映画にまで影響を与え、まるで神話のように語り継がれています。一体なぜなのでしょうか。

それは、この半世紀前のネズミたちの姿に、現代を生きる私たち自身の孤独や不安の影を、不気味なほどはっきりと見てしまうからに違いありません。

考えてみてください。物理的なスペースは十分にあるはずなのに、なぜか特定の都市に人が集まり、息苦しさを感じる現代の都市。これは、マウスたちが陥った「行動のシンク」とそっくりではないでしょうか。SNSを開けば何千人もの「友達」がいるのに、ふと寂しさを感じる夜。これもまた、たくさんの仲間に囲まれながら孤立していたマウスたちの姿と重なります。

社会での役割を見失い、家に引きこもったり、あるいはネット上で見知らぬ誰かに攻撃的な言葉をぶつけたりする人々。彼らは、ユニバース25で居場所をなくしたオスたちの姿とどこか似ているかもしれません。

そして、最も私たちの胸に突き刺さるのが「美しい者たち」の存在です。争いごとを避け、リアルな人間関係の面倒さから距離を置き、ひたすら自分の見た目や趣味の世界を磨くことに夢中になる。その姿は、SNS上で理想のライフスタイルを演出し、人と深く関わることを避ける現代の一部の若者たちの姿と、どこか重ならないでしょうか。彼らは傷つくことなく「美しく」生きていますが、社会の中での役割や次の世代へのバトンタッチという、生き物が本来持っているはずの力強さを失っています。

ユニバース25の悲劇は、「食べる」「住む」といった物理的な安心が手に入っても、心の満足が手に入るとは限らないという、厳しい事実を私たちに突きつけます。社会での役割、人との繋がり、そして「何のために生きるのか」という目的意識。これらが失われた時、たとえどれだけ物やお金が豊かになっても、社会は内側から崩壊してしまうのかもしれません。

この実験は、もはや単なるネズミの物語ではありません。豊かさと便利さを手に入れた現代社会が抱える、根本的な問題を映し出す「鏡」なのです。だからこそ私たちは、この物語から目を離すことができないのです。

楽園は地獄だった 〜 50年前にネズミが問いかけた、私たちの「未来」 〜 半世紀前のネズミたちの姿に、現代を生きる私たち自身の孤独や不安の影を、不気味なほどはっきりと見てしまってはいないだろうか?

これからの世界を生きる私たちが、目指すべきこと

では、私たちはこの実験から何を学び、未来に向けて何をすべきなのでしょうか。ユニバース25の結末は、人類に向けられた暗い予言なのでしょうか。

決してそんなことはありません。重要なのは、マウスには選ぶ道がありませんでしたが、私たちには未来を選ぶ力があるということです。

この実験が教えてくれる最大の教訓は、「ただ生き残ること」と「よく生きること」は全く違うということです。私たちはこれまで、飢えや貧困、病気といった「生きるための脅威」と戦い、科学の力で打ち勝ってきました。その結果、昔では考えられないほどの豊かさと安全を手に入れました。しかし、そこがゴールではありませんでした。マウスたちがそうであったように、それは新しい課題の始まりだったのです。

これからの私たちが考えなければならないのは、「どうすればもっと便利に、もっと快適に生きられるか」だけではありません。むしろ、「私たちは、この満たされた世界で、どうすれば心の渇きを癒し、人間らしく生きられるか」という問いです。

そのために目指すべきは、ただ物質的な豊かさを追い求めるのではなく、一人ひとりが社会での役割と繋がりを持ち、生きる意味を実感できる「心の楽園」を築くことではないでしょうか。それは、例えばこんな社会かもしれません。

  • 効率や生産性だけを追い求めるのではなく、多様な生き方が認められる社会。
  • 年齢や立場に関係なく、誰もが「誰かの役に立っている」と感じられる役割のある社会。
  • ネット上の繋がりだけでなく、現実世界での温かい人間関係が息づく社会。

ユニバース25のマウスたちは、生きる目的を失い、ただ命が尽きるのを待つだけの存在になりました。私たちは、そうなってはなりません。

快適な環境に満足するのではなく、自ら新しいことに挑戦し、人と関わり、時には傷つきながらも、みんなで社会を創り上げていく。その少し面倒で大変な営みの中にこそ、私たちが「よく生きる」ための答えが隠されているのではないでしょうか。

この50年前の実験は、私たちに答えではなく、鋭い問いを投げかけています。

あなたにとっての『本当の楽園』とは、一体どんな世界ですか?」と。

【参考資料】

[1] 元論文「Death Squared - The Explosive Growth and Demise of a Mouse Population」
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC1644264/

[2] The Guardian「The ‘mad egghead’ who built a mouse utopia」
https://www.theguardian.com/science/2024/nov/21/the-mad-egghead-who-built-a-mouse-utopia-john-b-calhoun

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